金沢の春、桜の花びらが兼六園の松をくぐり抜け、卯辰山をピンクの絨毯に変える。4月のこの日、近江隆之介と高梨小鳥の結婚式が、金沢の老舗料亭「桜花亭」でドタバタと進行中だった。 桜花亭の式場は、和のしつらえがバッチリ決まってるが、どこか緊張感が漂い・・・・いや、むしろカオス感が漂っていた。 母親と父親が心配する中、白無垢姿の小鳥は、綿帽子に隠された黒髪がまるで「助けて!緊張で固まってる!」と叫んでいるようだった。彼女の背中は、まるで小さな子犬がブルブル震えるようにプルプルしていた。 隣に立つ近江隆之介は、黒紋付袴でキリッと決めているが、普段は金沢市議会議員の秘書として冷静な彼も、今日は目がキラキラしすぎて「これ、恋の輝き?それとも緊張の汗?」といった状態。両親は不安げにその顔を見た。 式場の一角には、近江隆之介の姉で金沢市議会議員の久我今日子が、スーツ姿でドーンと座っている。彼女の鋭い目つきは、議会で「予算案却下!」と叫ぶそのままで近寄りがたかった。でも、弟の晴れ舞台には姉貴の優しさ全開!・・・と思いきや、彼女の脳内では「隆之介、袴の裾踏むなよ、転ぶぞ」と心配モード発動中。 後方には、藤野健がこっそりと立ってる。同じく金沢市議会議員で、久我今日子の同僚。なぜか彼の視線は小鳥にロックオン!その目は(小鳥ちゃん、僕のハートはまだ君のファンクラブ会員No.1だよ・・・)と切なげに語っているが、内心は「今日で引退かな、はぁ」と諦めムード。 神前式が始まり、祝詞が響く中、小鳥が近江隆之介の手をギュッと握ると、彼は「よし、俺の手、滑り止めバッチリ!」とばかりにニヤリ。式は厳かに・・・いや、なんとか始まった! 披露宴会場は、九谷焼の器や加賀友禅といった豪華な設だ。窓の外の桜は「いやいや、ここの主役は俺たち桜だろ!」と自己主張。司会の久我今日子がマイクを握った。「皆さん、弟の隆之介と小鳥さんのハチャメチャな門出を祝いに来てくれてありがとー!」 と叫ぶと、会場は「え、なにがハチャメチャ?」と来賓客がざわついた。新郎新婦入場!小鳥は色打掛で登場。色打掛は水面に映る御所車と桜吹雪で、溜め息が出るほどに鮮やかだった。隆之介は彼女の手を握りながら、「よし、転ばないように歩幅3cmで進むぞ!」と真剣な表情で唇をギュッと結んだ。参列者は拍手喝采で迎えたが、誰かが「新郎、袴の
高梨家は、津幡町の老舗和菓子店。木造の、時代を感じさせる一軒家だった。「いらっしゃいませ!」と書かれた手作りプレート。だが、隆之介の背中はすでに汗でびっしょりだ。「よ、よし、気合入れていくぞ・・・!」「頑張って!」と、小鳥に励まされた近江隆之介は、自分を鼓舞し、インターフォンを押す。「はーい、いらっしゃいませ」と、小柄な女性が暖簾をあげて顔を出した。笑顔が小鳥によく似た母親・百合香だった。「あら! 近江さんね! いらっしゃい、ささ、上がって上がって!」と、まるで息子のように迎え入れる。隆之介、ほっと一息。だが、次の瞬間。「誰だ、その男は!」と、リビングからドスの効いた声。現れたのは小鳥の父親・賢一郎、細身で身長はさほど高くはないが眼光鋭く、隆之介を上から下まで値踏みする。「ふん、こいつが小鳥の・・・婚約相手だと?」 近江隆之介、早速ピンチ! 「お、お父様! 初めまして、近江隆之介と申します! 小鳥さんと・・その・・結婚を前提に・・・!」と、緊張で言葉がカミカミ。賢一郎は腕を組んで「ふん!」と一喝。「小鳥はまだ25だ! 結婚なんて早すぎる!」 一方、母親はキッチンからクッキーを運びながら「まあまあ、賢一郎さん、若い二人の愛を応援してあげましょ!」とニコニコ。早くも両親の意見は真っ二つだ。 リビングに通された隆之介、ソファーに座るも背筋はピンと伸びたまま。父親の「質問タイム」が始まった。「隆之介、年収はいくらだ?」「え、そ、その、450万・・・くらい・・・です」「ふん、450万で我が家の小鳥を養えると思うなよ!」 父親の圧がすごい。隆之介、汗だくで「努力します!」と叫ぶも、「努力? そんな曖昧な言葉で小鳥の未来が保証できるか!」と一蹴。 そこへ母親が救いの手を。「賢一郎さん、昔のあなたは年収300万で私を幸せにするって豪語してたじゃない!」 父親は、むっと黙る。近江隆之介、心の中でガッツポーズ。 次に父親は、「趣味はなんだ? 小鳥は絵本が好きだぞ。お前も絵本読むのか?」と畳み掛ける。近江隆之介、実は絵本なんて読んだことない。焦った彼は、咄嗟に「は、はい! 『ぐりとぐら』が大好きです!」と答える。父親は、「ほほう、じゃあ『ぐりとぐら』のテーマはなんだ?」とニヤリ。「え・・・テーマ? えっと・・・パンケーキの・・友情?」とテキトー
「どうしたんですか。真剣な顔、変ですよ」 「俺、変?」 「はい」 近江がスーッと大きく息を吸い、吐く。「一つ議案があるんだけどな」 「議会ごっこでもするんですか?」 「ウルセェな」 「うるさいって」 「議会中は私語慎めよ、基本だろ」 小鳥は面倒なことだとゲンナリ。 「資料配布します。目、閉じて」 「その丁寧な言葉、気持ち悪いですよ」 ゴソゴソと動く気配。温かな手が小鳥の左手を持ち上げ、硬く冷たい感触が薬指に伝わった。(え、もしかして) 「目、開けていいぞ」 「は、はい」 薬指に輝石が散りばめられたプラチナの指輪。 「これって・・・、あの」 「石はダイヤモンド、本体はプラチナ」 「素材じゃないです!」 「サイズ、ぴったりだろ」 「いつの間に」 小鳥は指輪を光にかざして見る。 「お前がグースカ寝てる間に測ったからな」 「グースカって」 「喜べよ」 「それで近江さん、議題は何ですか?」 近江のニヤニヤした顔がキュッと引き締まる。 「議題は『俺と小鳥が結婚する案』、賛成の議員は挙手で」 小鳥は目を見開き、息を吸い、右手をそっと上げる。「遅ぇな!」 「さ、賛成、です」 「全員一致で可決します」 「い、いいんですか」 「いいも何も、お前しかいらねぇって言ったろ」 小鳥の目が潤み、ポロポロと涙。 「ちょ、泣くなよ、そういうの苦手なんだよ!」 「へ、ヘタレですね」 「泣くなって!」 「あ、ありがとうございます」 「お、おう」 「う、嬉しい・・・」 「マジでやめてくれ、そーゆーの!」 小鳥の嬉し泣きに耐えかね、近江はタオルケットをかぶって顔を隠す。小鳥は涙を堪え、タオルケット越しに唇に軽くキス。ふふっと笑う。302号室の9月定例議会は無事可決した。プロポーズの余波リビングの空気が柔らかくなる。風鈴の音が響き、小鳥は指輪を眺めながら頬を赤らめる。近江はタオルケットをはぐり、照れ隠しにビールをゴクリ。「ったく、お前、泣くの早すぎだろ」「だって、こんな大事なこと急に言うんだもん」「急じゃねぇよ。だいぶ前から考えてた」「え、いつから?」「お前がキツネに絡まれて、めっちゃ怖がってた顔してたじゃん。あの瞬間、なんか…守りてぇって思った」 小鳥は目を丸くする。あの日の記憶は、恥ずかしさと恐怖で曖昧だ
波乱の9月定例議会は閉会した。 その夜小鳥は冷蔵庫を開け、青白いライトに浮かぶガラスの器を取り出す。底を確認。カラメルソースが二層に分かれ、上出来。ひんやり心地良い。ベージュのギンガムチェックのトレーに木製スプーンを添え、リビングへ。ふと見下ろすと、カーペットで胡座をかく近江の髪から水滴がポタポタ。「もう! 近江さん、髪ちゃんと拭いてください!」小鳥は焦茶色のフェイスタオルを近江の顔に叩くように投げる。「おい、最近雑だな!」「そうですか?」「初々しいお前はどこ行ったんだよ。ん、ここか?」小鳥のルームウェアの裾を摘み、突起をツツツツと円を描くように撫でる。「あ、ん! もう、やめてください!」 「へっへっへっ」 「その変な笑いやめてください!」 「へっへっへっ」 「近江さんこそ、シュッとした近江さんはどこ行ったんですか! 詐欺ですよ、詐欺!」 「シュッシュッ」 近江隆之介は両頬で手を握ったり開いたり。まるで頭にエラが伸びた両生類。 「変なポーズやめてください! もう!」 「シュッシュッ」 テーブルのプディングがプルプル揺れ、早く食べろと笑う。 「これ、作ったのか」 「はい、誰かさんに朝早く起こされて時間があったので」 「ふーん」 「時間があったので!」 「何、あの続き、する?」 「た・・・食べてからにしてください!」 「食べてからするんだ」 小鳥は膨れっ面で顔を赤らめた。 「しなくてもいいです!」 「ふーん」 近江隆之介はプディングを小鳥のぽってりした唇に運ぶ。冷たく甘いバニラビーンズの香り。柔らかな眼差しに頬が赤らむ。 「美味い?」 「美味しいです、って、私が近江さんのために作ったんですよ!」 「俺のため」 「はい」 「シュッシュッ」 近江隆之介はまたウーパールーパーの真似をした。いつも以上におかしい。(熱でもあるのかな、このハイテンション)小鳥は無言でプディングを食べながら首を傾げる。近江はその姿を頬を緩めて眺める。空気感に耐えかね、上目遣いで睨むも効果なし。 「近江さん、温くなりますよ!」 「おう」 「早く食べてください!」 「小鳥が食べたい」 「もう、何言ってるんですか!」 「へいへい、ありがたくいただきます」 「そうしてください!」 近江隆之介がなかなか食べないので苦手かと肩
テレビには議長や市長に頭を下げる議員たち。田辺、藤野が着席、氏名標を立て、バインダーを開く。議場入口に菖蒲の花。豪奢な久我今日子が、臙脂色のバッジ、紺のタイトスーツ、白い開襟シャツ、黒のローヒール、黒縁眼鏡、巻き髪を紺のバレッタでまとめ、立っていた。「姉ちゃん、化けたな」「すごい。議員さんに見える」「そりゃ失礼だろ。あれでも議員なんだぜ」「ご、ごめんなさい」 久我今日子の目は議長席を鋭く睨む。「あ、あの人」「あぁ、キツネな。あいつお前に言い寄っただろ」「は、はい」 煙草臭い息、太ももに割り込むスラックスの感触が蘇る。「議会で一番偉いとか、信じられない」「まぁ見てなって」「はい?」 楠木大吾、通称キツネが久我今日子を一瞥。不快な目で身体をなぞる。「起立、礼!」9月定例議会が開会。静かな廊下、テレビの前で近江隆之介と小鳥が中継を見守る。パイプ椅子がギシッと鳴った。質疑応答は事前に準備済み。下水道施設の不備、産廃埋立地の賛否、子育て支援の課題が粛々と進む。「もう終わりそうですよ?」「これからだよ」「これから?」 久我今日子が手を挙げる。「久我くん、どうされました?」「議長、一つ伺いたい件があります」「事務局を通して」「通せば有耶無耶になります」 国主党8名、自主党の田辺、藤野が立ち、資料を配布。議場がざわめき、傍聴席が身を乗り出す。市長が事務局長に耳打ち。「久我さんの姿が見えない。どうします?」 テレビの中継画面に久我今日子の姿が映らない。「傍聴席に入れるか聞いてみるか」近江隆之介が廊下に出るが、お手上げで戻る。「途中入場はダメだって」「近江さんでも?」「決まりだからな。ここで見るしかねぇ」 ようやくテレビ画面に久我今日子が現れる。壇上には上がらず、楠木大吾を見上げる。紺のスーツが赤いカーペットに映える。「これは国主党一部議員の政務活動費の調査です」 重鎮議員たちが顔を見合わせ、耳打ちを始める。政務活動費は調査研究や住民相談の経費で、余剰は返却義務がある。田辺、藤野、久我らが集めた《爆弾》は、国主党の一部議員の架空請求の証拠。一般市民の告発から始まり、自主党の田辺と藤野が情報公開請求で領収書や報告書を洗い出し、国主党の8名と協力して不正を暴いた。「わぁ、久我さん、堂々としてる」「女議員だからって舐められ
9月最終金曜日。金沢市議会9月定例議会が開会される。 犀川沿いのアパート、302号室。小鳥と近江隆之介の部屋には、涼しい川風が心地よく流れ込む。夜になると窓を少し開ければ、風鈴のチリンチリンという音が響き、小鳥モチーフのモビールがゆらゆら揺れる。部屋は二人だけの小さな世界だった。「・・・ん?」 朝、肌寒さに目が覚めると、近江隆之介の背中がない。小鳥はノーフレームの眼鏡をかけ、時計を確認。5:30。外は白々しい光に包まれている。タオルケットで素裸の胸を隠し、上半身を起こす。シャワールームから水音が聞こえ、キュッ、バタン、ギィとドアが開く。近江隆之介がタオルで頭を拭きながら現れた。「お、起こした? すまねぇ」「いいですけど、せめてパンツ履いてください」「もう見慣れたろ」「そういう問題じゃないです」 パイン材のベッドがギシッと軋み、近江隆之介がにじり寄る。「ちょ」「ちょも何もねぇって、黙ってろって」「また遅れますよ! 朝は・・・しないっ」 濡れた髪から水滴が小鳥の首筋を伝い、下へ落ちる。「あっ」小鳥の頬が赤らむ。近江隆之介の舌先は繊細な動きで彼女の肌を滑り、茂みに埋めた。「あっ、だめ」「ダメじゃねえだろ、もう濡れてるぜ」「やっやめてよ!もう!」 恥じらう小鳥は両手で顔を隠す。近江隆之介はニヤリと笑い、鼻先に軽くキス。「残念でした、続きは今度な」「え」「小鳥パワーチャージ完了ってな」「う、うん」 近江隆之介はボクサーパンツを履き、インナー、Yシャツのボタンを留める。靴下、濃紺のスラックス、ベルトをカチャカチャ。臙脂色のネクタイを締め、グリーンウッドの整髪料で髪を整える。姿見でチェックし、毛先をパラパラ。久我今日子の第一秘書の完成だ。ビジネスリュックを掴む。「じゃ、姉ちゃん迎えに行ってくるから」「うん」「行って来る。また後でな」「うん、行ってらっしゃい」 真剣な顔でネクタイを締めた近江隆之介は、投げキッスを二つ残して出勤して行った。「また今度って・・・」 小鳥はベッドに座り、頬を赤らめたまま呟いた。抱擁妖怪も気を引き締める、9月定例議会。キーンコーンカーンコーン。 始業のチャイム。市議会の建物では、エレベーターの黄色いランプが5、6、7階と上昇する。有権者や記者がふかふかのカーペットを踏み、傍聴席受付へと集まり始め